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ダイヤモンドの歴史

ダイヤモンドは地球上で一番硬い鉱物で、たぐいまれない光沢と、鮮やかなきらめきによってすべての宝石のなかで、もっとも価値の高いものとなっています。

「ダイヤモンド・カット・ダイヤモンド−ダイヤモンドはダイヤモンドでしかカットできない」

という言葉の通り、ダイヤモンドは比類、まれな硬さを持っている宝石です。ギリシア語のアマダス「征服し難い」を語源とするダイヤモンドは、万物の中で最高の硬さをもっていますが、意外なことに、柔らかい炭と同じく、純粋な炭素からなる鉱物なのです。

何百万年ものあいだに、その炭素が結晶し、透明の宝石を育んだのだといわれています。たった1カラット(0.2グラム)のダイヤモンドを作るために、250トンもの鉱石が掘り出されるほどダイヤモンドは希少な鉱物です。

また、優れた耐久性、あらゆる光りのスペクトルに対して、同じように反射することができるという、ユニークな性質をもつダイヤモンドは、もっとも価値の高い貴重な宝石として高い人気を誇っています。

ダイヤモンドは、約4千年以上も前にインドで初めて発掘されました。それ以来、硬く強い貴重な天然資源であると同時に、無色透明の美しい宝石の王様として、何世紀にもわたって採掘されています。

どんな薬品にも侵されず、何物にも傷つけられることのないダイヤモンドは、

「身に付けることにより世界征服を成し遂げられる」

という言い伝えもあって、インド、ヨーロッパの王族の護身符とされていました。
ときには戦場に立ち会い、ときには華やかな舞踏会に登場し、その美しさへの羨望を我が物にしていたダイヤモンドは、物言わぬ歴史の証言者として、まさに宝石の王座を与えられてきたのです。

しかし、ダイヤモンドは初めから宝石の王座にいたわけではありません。3千年以上も前に、占星術とともに始まったとされる誕生石リストの中には入っていませんでした。当時のダイヤモンドに関する表現に「美しさ」はなく、その特性である「硬さ」を利用する方法のみが書かれています。

ダイヤモンドの美しさは14世紀、ルネッサンス期の自然科学の発達によって認められるようになりました。それまで「ただの硬い石ころ」だったダイヤモンドが一躍脚光を浴びるようになります。

その後17世紀に入り、今日の原形らしい、ダイヤモンドの美しさを引き出す、カット様式が考え出されました。そして、ブラジルや南アフリカなどでのダイヤモンド鉱山の発見を期に、現代の工業的な発掘が、19世紀末に南アフリカで始まったのです。これを機に、ダイヤモンドが王族や貴族だけでなく、多くの女性の身を飾るようになっていきました。

今日では、ボツワナ、ロシア、南アフリカ、アンゴラ、ナミビア、オーストラリア、ザイールなどで、ダイヤモンドは採掘されています。採掘されたダイヤモンドの原石は、ニューヨーク、アントワープ、テル・アビブ、ボンベイなどで中心にカッティングされ、世界中の女性を飾るために送り出されています。

ギリシア・ローマ

ギリシア  ローマ

ヨーロッパにダイヤモンドが初めて伝えられたのは、紀元前1世紀頃のギリシアです。それ以前のヨーロッパでは、メソポタミン・エジプト文明の影響によって、ラピスラズリ、エメラルド、トルコ石、ガーネット、真珠など、色鮮やかな宝石が珍重されてきました。

当時のダイヤモンドは、研磨やカットがほとんど施されていない,「ただの石のかけら」であったことが想像できます。今日私たちが目にするようなカットが施されたダイヤモンドが登場するのは中世以降のことだからです。

ではなぜ、見栄えもしない「石のかけら」にヨーロッパの人びとが魅せられたのでしょう。それはダイヤモンドが持つ固有の性質、すなわち、比類なき硬さと希少性によるものだった事が想像されます。さらに、当時のインド商人たちが呪術的、宗教的な伝説によって、この地味な「石のかけら」ダイヤモンドを売りこんだに違いありません。

すなわち、ダイヤモンドは病気、悪霊、洪水、毒、蛇、火などから身を守ってくれるといった超自然的な伝説です。事実、当時のインドでは、無色透明な八面体の結晶は、インドラ神に捧げられ、蛇の頭に似た双結晶は、死神ヤマに捧げられました。

さらに、良質のダイヤモンドは上納され、国外に持ち出すことを、禁ずる法律さえありました。ギリシアの人々は、この魔術的な硬い石を「アダマス」と名づけました。

アダマスとは「征服されざるもの」という意味で、もともと鉄を表す言葉だったものが、紀元1世紀頃にはダイヤモンドのことを表す言葉として定着しました。このアダマスがダイヤモンドの語源となりました。

「アダマス⇒ダイヤマス⇒ダイヤモンド」

こうして、魔よけや護符としての価値を獲得したダイヤモンドは、美的価値を基準とした、他の宝石を凌駕する地位を獲得していったのです。

ローマに渡ったダイヤモンドは、「金より貴重な石のかけら」と当時の文献にも書かれていたことからも明らかなように、宝石の中で最高のものとして珍重されていました。

ヨーロッパ中世

ヨーロッパ

キリスト教全盛時代のヨーロッパでは、聖書の教えこそが最高とされ、それ以外の迷信や呪術的なものは異端として排除されていました。
したがって、ダイヤモンドに与えられていた呪術的、宗教的な性質も、異教徒の低級な迷信として、当然ながら否定されていました。
その頃には宝石の中でのダイヤモンドのランキングは、今日では考えられないことですが、17位にまで落ちてしまいました。
ダイヤモンドが最高の宝石としての地位を取り戻したのは、その後カット技術が開発されてからのことだったのです。

ブラジル

ブラジル

15〜16世紀の大航海時代を経て、ヨーロッパ人たちによる植民地支配が世界中に広がり、南米はスペインとポルトガルによって分割されました。

1725年、ブラジルのミナス・ジョライス地方の金鉱で歴史的な出来事が起こりました。その当時、金鉱堀りたちはカードゲームの時に透明な結晶をチップとして使用していました。
ところが、かつてインドに住んでいたことがあるメレ・ド・プラドという男が、その石の結晶を見て「ダイヤモンドに違いない」と気付き、石をリスボンに届けました。さらに、石はアムステルダムに送られて鑑定された結果、ダイヤモンドであることが確認されたのです。

1730年ポルトガル王室は、ダイヤモンド産地を王室直轄領とする法令を布告しました。このブラジルでの発見は、ヨーロッパのダイヤモンド市場に、大きなインパクトを与えました。1730年から1735年までのわずか5年の間に、ダイヤモンドの価格は75%も下落してしまいました。

理由は、大量のダイヤモンドが、ヨーロッパに流れ込んだからでした。もはや、ダイヤモンドは、インドでしか採れないと、信じられてきた神話が崩れ去ったのです。しかし、ブラジルでのダイヤモンドの採掘は1850年代から急激に落ち込み、その主役の座を次の南アフリカに譲り渡してゆくことになるのです。

南アフリカ

南アフリカ共和国

1866年、当時オランダの植民地だった南アフリカのホープタウンの近郊のオレンジ河の土手で、近くに住む農夫ダニエル・ジェイコブズの15才になる、息子エラスムスが、偶然光る石を見つけました。しばらくすると、ジェイコブズ一家の友人で、行商人のニカルクが通りすがり、子供たちが遊びに興じていた、光る石に興味を抱きました。それを見たダニエルの女房は、彼にその石を、「ただ」でやることにしました。

数ヶ月後、ニカルクは人づてに、この乳白色の石を調べてもらったところ、21.25カラット の、ダイヤモンドに間違いないことがわかりました。ダイヤモンドはロンドンに送られて、10.73カラットにカットされ、1867年〜1768年の、パリ万国博覧会に、展示されました。この「ユーレカ(ギリシア語で「しめた見つけた!」の)」と名付けられたダイヤモンドは、その後、高額で取引されました。

ニカルクは350ポンドを受け取り、ダニエル・ジェイコブズに、半額を支払おうとしましたが、
「そんな古い石のことなど忘れた」といって受け取らなかったのです。その後、南アフリカでは、ダイヤモンドは一粒も発見されず、人々の記憶から遠ざかっていきました。

1869年3月、今度はアフリカ人の羊飼いブーイが、やはりオレンジ川の近くで、偶然光る石を見つけました。彼は人づてに紹介された、ニカルクにその石を見せたところ、ニカルクは即座に自分の全財産である羊5百頭、牡牛10頭、馬2頭と石を交換しました。

石は83.5カラットの、ダイヤモンドであることが確認され、ニカルクは、11300ポンドで売り渡しました。このダイヤモンドは47.75カラットのペア・シェイプ(梨型) にカットされ「南アフリカの星」と名付けられました。

このニュースがいち早く伝わると、オレンジ河の土手に向かって、探鉱家たちが続々と集まってきました。カリフォルニアの金鉱掘りや、イギリスの船乗り達、そしてブラジルのダイヤモンド掘りたちが、砂糖に群がる蟻のように、ケープタウンから1000キロの道のりを、牛車で40日以上もかけて、オレンジ河を目指したのでした。

そして瞬く間に、世界中から集まった、山師達の大群によって、その界隈はいたる所が掘り返され、オレンジ河一帯は、蜂の巣を突ついたような、無法地帯となりました。1871年までの、わずか3年の間に、大きな埋蔵量を誇る、「デュトイッパン」「ブルトフォンテーン」「デビアス」「キンバリー」の四つの鉱山が発見されました。さらに19年後、その近くで「プレミア」 鉱山が発見され、南アフリカはダイヤモンドの産地として、不動の地位を築き上げ、今日に至るのです。

ダイヤモンドの原石とカット後

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