パライバトルマリンが登場した頃のお話
パライバトルマリンが「タライバ」と呼ばれていた頃
パライバトルマリンって、今でこそ知らない人がいないくらい有名な宝石になりました。
でも最初はそうではなかったんですよね。日本に入ってきたくらいの時なので、珍しいけど宝石関係者も当時は知る人ぞ知る宝石だったわけです。
ボクが業界に入った頃は、色んなカラーのトルマリンは見ていましたが、パライバトルマリンだけは見たことがありませんでした。
初めて出会ったのは、いつも遊びに行っていた業者さんのところでした。
商品を見せてもらっていた時に、ボクの社長が石を見て、
「これ、パライバだろ?」
と聞いたんです。すると相手の社長がこう答えました。
「そやそや、最近出たゆーてな。綺麗かどうか分からんけどもパライバゆーんか。」
そう言いながら見せてくれた札を見ると、そこに書いてあったのは、
「タライバ」
だったんです。
ボクの社長は笑いながら、
「社長、パライバだろ?タライバって書いてあるじゃない。」
と指摘しました。相手の社長も、
「え、ほんまか?あーほんまや、パライバゆーんか。最近出たみたいで買ってみたけどそーゆーんか、そーかそーか。」
と笑っていましたが、その場で書き直す様子はありませんでした。
そんな感じで初めて見たパライバトルマリンは、緑のような青のような、蛍光色の強い印象でした。
正直、高いのか安いのかもさっぱり分からないまま、その日は終わりました。
東京から届いた本物のパライバ
後日、東京の業者さんが遊びに来た時に、
「本谷くん、今日は良いのあるよ。」
と見せてくれたのが、オーバルカットで2カラットを超えるパライバトルマリンのペンダントでした。
ダイヤモンドの取り巻きがあって、下部にはマーキースカットのダイヤをきれいに使った、いわゆるモダンなデザイン。
肝心のパライバも蛍光色が強くて、事務所の悪い蛍光灯の下でも一番輝いて見えました。
ダイヤモンドもパライバの品質に合わせた、カットの良いものが使われていて、とにかく綺麗だったのを覚えています。
当時の価格で80万円くらいだったと思います。百貨店の店頭に並ぶことはなく、外商さん経由で直接ユーザーの手元に届く商品です。百貨店価格にすると400〜500万円くらいになっていたと思います。
宝石が全国に広まっていく流通の仕組み
その時、色々な話も聞かせてもらいました。
ダイヤモンドもパライバのようなカラーストーンも、まずは海外から東京に集まって、それから甲府の業者へ、そこから大阪、そして全国へと広がっていく。
そういう流通の流れを、その時初めて知りました。
東京の業者さんが綺麗な宝石をたくさん持っていたのは、こうした流通の中心地だったからなんだと思います。あわせて、それを仕立てる宝石職人さんたちも東京に集まっていて、本当に技術のある職人さんが多かったようです。この辺りの話はまた後日にしましょう。
話を戻すと、パライバトルマリンもこうした流れの中で、少しずつ全国に広まっていったということです。
少し長くなってきたので、他のパライバの話は次回に書きましょう(^^)